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第53代横綱・琴櫻傑將の軌跡と無気力相撲の真相、佐渡ヶ嶽部屋の継承秘話

竹中 遼 竹中 遼 • 更新: • 公開: • 読了約 7 分
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大相撲の歴史において、数々の名勝負と劇的なドラマでファンを魅了した第53代横綱・琴櫻傑將(ことざくら まさかつ)。鳥取県倉吉市出身の巨体が土俵で見せた豪快な相撲はもちろん、現役時代の苦難、そして「無気力相撲」を巡る騒動の真相に至るまで、その歩みは波乱万丈に満ちていました。

本記事では、生前の軌跡から佐渡ヶ嶽部屋での名門継承、そして孫である大関・琴櫻への壮大な四股名継承秘話まで、信頼性の高い公式データと史実を基に解説します。2026年現在の視点から、昭和の大横綱が遺した大相撲界への足跡を深く紐解いていきましょう。

第53代横綱・琴櫻傑將の生涯と土俵人生の軌跡

琴櫻傑將

琴櫻傑將は1940年11月26日、鳥取県東伯郡倉吉町(のちの倉吉市)に生まれました。本名は鎌谷紀雄。佐渡ヶ嶽部屋に入門した彼は、抜群の身体能力と猛稽古を重ねて番付を駆け上がり、昭和40年代を代表するトップ力士へと成長しました。

現役時代の代名詞といえば、巨体を活かした豪快な寄りやぶちかましです。しかし、その土俵人生は順風満帆ではなく、幾度となく訪れた故障や逆境との戦いでもありました。特に横綱昇進前後の苦難は、彼の精神力の強さを物語るエピソードとして今なお語り継がれています。

「無気力相撲」の真相と、そこからの劇的復活劇

琴櫻のキャリアにおいて避けて通れないのが、1972年3月場所12日目に起きた「無気力相撲」の警告騒動です。公式記録や当時の報道によると、この日、大関・前の山との対戦で張り手を受け気絶・転がされた一番が相撲競技監察委員会から問題視されました。

前日に貴ノ花と激しい相撲を展開していたことなどが状況証拠として扱われ、周囲は騒然となりました。しかし、琴櫻本人は「自分の気持は休場するぐらいのものではない」と気丈に出場を続け、14日目には優勝争いの先頭を行く平幕の魁傑を強烈なぶちかましで一蹴。弟弟子の長谷川の優勝を援護射撃する形となりましたが、場所終盤は無気力相撲の話題一色となってしまいました。

続く5月場所は初日を勝ったのみで休場となり、一時は引退の噂も現実味を帯びました。しかし、同じ二所ノ関一門の相撲評論家・神風正一との対談で励まされ、横綱への執念を再燃させます。加えて、同年7月場所に生まれたばかりの長女(後の初代琴ノ若の妻)の存在が大きな心の支えとなり、「この子が大きくなった時、胸を張れる成績を残しておかなきゃ」と猛然と奮起。この執念が同年11月場所の3度目V、そして1973年1月場所の連覇と横綱昇進へと繋がっていったのです。

佐渡ヶ嶽部屋の黄金期と名門継承の歴史

土俵を去った後も、琴櫻の相撲界における功績は絶大なものがありました。当初は独立して「白玉部屋」を興す意向を持っていたため現役時代から内弟子を集めており、それが後の佐渡ヶ嶽部屋の繁栄の礎となりました。

師匠として育て上げた関取は合計22人を数え、琴風豪規、琴富士孝也、琴錦功宗、琴光喜啓司といった4人の幕内優勝力士を輩出。1990年代初頭には幕内力士7人を擁し、「七琴」「佐渡ヶ嶽軍団」と呼ばれる幕内最大勢力を築き上げました。

時期・イベント 主な出来事・実績 備考・詳細
1940年11月 鳥取県倉吉市にて誕生 本名は鎌谷紀雄。後の第53代横綱。
1972年3月〜 無気力相撲の警告と復活 不屈の闘志で逆境を乗り越え、1973年1月に横綱昇進。
1996年 琴ノ若を養子に迎える 愛娘と結婚した当時の「琴の若」を養子とし、後継者へ。
2005年11月 定年退職と部屋継承 同日引退した琴ノ若(初代)へ「佐渡ヶ嶽」の名跡を譲る。

2005年11月25日、定年退職を迎えた琴櫻は、場所の千秋楽を待たずに引退した琴ノ若に年寄・佐渡ヶ嶽を譲り、2代続けての本場所途中の部屋継承劇を完結させました。退職直後には、かねてより心を悩ませていた琴欧州の大関昇進が決定。日本相撲協会の計らいにより、大関昇進伝達式に佐渡ヶ嶽親方夫妻と共に同席が認められ、万感の思いで後継の門出を見守りました。

孫・琴櫻への四股名継承秘話と、脈々と受け継がれる系譜

琴櫻が遺した最大のロマンの一つが、孫である将且(初代琴ノ若の長男)への四股名継承です。生前、琴櫻は「大関昇進後であれば『琴櫻』の四股名を継がせてもよい」と初代琴ノ若に伝えていたとされています。

その言葉通り、孫の将且は2015年11月場所に「琴鎌谷」の四股名で初土俵を踏み、2019年7月場所の新十両昇進を機に「琴ノ若」を襲名。そして実力を着実に伸ばし、2024年3月場所で悲願の大関昇進を果たしました。1場所だけ「琴ノ若」の名で大関を務めた後、同年5月場所より祖父の名跡である「琴櫻」を正式に襲名し、祖父が築いた歴史の続きを現在の土俵で体現しています。

長男の紀寿が明大中野高校相撲部を経て佐渡ヶ嶽部屋のサブマネージャーを務めるなど、家族全体で名門の看板を支えてきた歴史も、佐渡ヶ嶽部屋の強固な絆を物語っています。

【琴櫻傑將】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:琴櫻傑將の現役時代の最高成績や優勝回数は?
A1:第53代横綱として、幕内最高優勝は通算5回を誇ります。怪我や無気力相撲の逆境を乗り越え、昭和40年代後半の土俵を沸かせた実力派横綱です。

Q2:孫である現在の琴櫻関との関係は?
A2:現在の琴櫻(将且)は実の孫にあたります。生前に祖父が残した「大関昇進後なら『琴櫻』を継がせてよい」という遺志を受け継ぎ、2024年5月場所より二代目琴櫻として活躍しています。

Q3:佐渡ヶ嶽部屋での指導者としての実績はどう評価されているか?
A3:部屋の師匠として琴風、琴富士、琴錦、琴光喜といった4人の幕内優勝力士を輩出し、1990年代には「七琴」と呼ばれる空前の大勢力を築き上げるなど、名門としての黄金期を築いた名伯楽として高く評価されています。

第53代横綱・琴櫻傑將が残した足跡は、単なる勝ち負けの記録にとどまりません。不屈の精神で逆境を跳ね返し、愛する家族や弟子たちと共に佐渡ヶ嶽部屋という名門を築き上げた生き様は、今なお日本相撲界の大きな財産です。

その魂と誇り高き四股名は、孫である二代目琴櫻へとしっかりと受け継がれ、令和の土俵で新たな伝説を紡ぎ続けています。昭和の大横綱が遺した熱い情熱は、時代を超えて人々の胸を打ちます。

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竹中 遼

飲食店と旅先の取材が専門。店舗情報は公式サイトと現地取材の両方で確認し、公開前に再確認します。

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