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第59代横綱・隆の里俊英の現役時代から鳴戸親方としての軌跡まで徹底解説

宮部 千春 宮部 千春 • 更新: • 公開: • 読了約 7 分
目次

大相撲の歴史において、数々の逆境を乗り越えて土俵の頂点に立った力士がいます。その代表格が、第59代横綱・隆の里俊英です。青森県南津軽郡浪岡町(現・青森市)出身で二子山部屋に所属した彼は、卓越した技と不屈の精神力で昭和の大相撲を大いに沸かせました。

現役時代は「おしん横綱」の異名で親しまれ、難病とされた糖尿病を食餌療法によって見事に克服した伝説の持ち主でもあります。加えて、引退後は鳴戸親方として若手育成に尽力し、のちに横綱となる稀勢の里をはじめ、髙安、若の里といった錚々たる関取を育て上げた名伯爵としても知られています。本記事では、隆の里の現役時代の活躍や伝説的な歩み、指導者としての軌跡を徹底的に紐解いていきます。

隆の里俊英の基本プロフィールと大相撲における足跡

隆の里

隆の里俊英は1952年(昭和27年)9月29日、青森県南津軽郡浪岡町(現・青森市)に生まれました。本名は高谷俊英。二子山部屋に入門し、厳しい稽古を重ねて着実に番付を駆け上がっていきました。現役時代の体格は身長181cm、体重158kg。得意手は右四つ、寄り、吊り、上手投げであり、重厚感のある正統派の相撲を持ち味としていました。

当時のインタビューでは、「相撲でつとまらなくて中途半端な状態で田舎に帰ったら、周囲から何を言われるか分からない。だから頑張った」と、並々ならぬ決意を語っています。このハングリー精神こそが、のちの大横綱への道を切り拓く原動力となりました。

糖尿病を食餌療法で克服した「おしん横綱」の伝説

隆の里のキャリアを語る上で欠かせないのが、アスリートにとって致命的とも言える糖尿病との壮絶な闘いです。当時のスポーツ界において、糖尿病を抱えながら第一線で戦い続けることは極めて異例であり、困難を極めました。

しかし、本人の不屈の努力に加え、二子山親方夫妻が当時の幕下力士としては異例となる糖尿病治療用メニューを認めるなど、治療に全面的に協力したことが大きな支えとなりました。加えて、自らの持病を公表し、周囲の理解を得ながら治療に臨んだ姿勢は、後援者やファンの間でも広く知られるところとなり、大きな共感を呼びました。

苦難に耐えながらひたむきに努力を重ねるその姿から、当時の人気テレビドラマのヒロインになぞらえ「おしん横綱」と呼ばれるようになり、多くの人々に勇気と感動を与えました。

ライバル千代の富士との名勝負と昭和50年代後半の土俵

昭和50年代後半、隆の里は同じ時代を駆け抜けた千代の富士ら強豪力士たちとしのぎを削り、数々の名勝負を繰り広げました。スピードと鋭い攻めを見せる千代の富士に対し、隆の里は重みのある右四つからの寄りで対抗し、白熱した一番で土俵を大いに盛り上げました。

当時の主な記録や経歴を以下のテーブルに整理します。

項目 詳細 備考・主な実績
四股名・代数 隆の里 俊英(第59代横綱) 本名:高谷俊英、青森県出身
所属部屋 二子山部屋 引退後は年寄・鳴戸を襲名
体格・得意手 身長181cm、体重158kg / 右四つ、寄り、上手投げ 重厚な寄りと勝負強さが持ち味
主な称号・エピソード 「おしん横綱」 糖尿病を食餌療法で克服した不屈の力士

名伯爵・鳴戸親方としての指導方針と稀勢の里ら弟子たちの育成

1986年に現役を引退した後は、年寄・鳴戸を襲名し、鳴戸部屋の師匠として後進の指導にあたりました。指導者としての手腕は「名伯爵」と称され、数多くの優れた関取を角界に送り出しました。

鳴戸親方が育て上げた主な関取には、のちに第72代横綱となる稀勢の里をはじめ、大関・髙安、長く幕内で活躍した若の里、隆乃若など計7人の関取が名を連ねています。

また、食事管理や生活指導にも並々ならぬこだわりを持っていました。「食事は最高のコミュニケーションであり、きちんとした食事を作っている家庭ならそう曲がった子供は育たない」という信念を持っていた鳴戸親方は、入門してきた弟子に対して必ず「お母さんが作った料理で一番好きなものは何か」と尋ねていたといいます。こうした温かい人間性と厳しさが一体となった指導が、多くの弟子たちの心を掴みました。

晩年のエピソードと大相撲界に残した不滅の足跡

土俵を離れてからも、相撲に対する真摯な姿勢や愛情は変わることがありませんでした。2011年7月場所前、自身が育った二子山部屋の宿舎であった寺(当時、花籠部屋が使用)で二所ノ関一門合同稽古が行われた際、ランニングシャツにズボン姿で赴いたというエピソードが残っています。妻から「皆さんがいらっしゃるんだから、そんな恰好じゃ驚くわ。襟付きのシャツを着ていけば」と声をかけられたものの、自身の師匠である二子山が当時の現役当時にしていたのと同様の服装をあえて真似たという逸話は、師弟の絆の深さを物語っています。

隆の里俊英は2011年(平成23年)11月7日に惜しまれつつこの世を去りましたが、彼が残した数々の名勝負、病に打ち勝った不屈の精神、そして名伯爵として次世代に継承した相撲道は、今なお多くの相撲ファンの心に深く刻まれ続けています。

【隆の里】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:隆の里の現役時代の最高位や代数は何ですか?
A1:第59代横綱です。二子山部屋に所属し、重厚な右四つ相撲を武器に昭和50年代の土俵を賑わせました。

Q2:「おしん横綱」と呼ばれる由来は何ですか?
A2:深刻な糖尿病を抱えながらも、食餌療法と不屈の精神力で克服して横綱に上り詰めた姿が、当時の人気ドラマのヒロインになぞらえてそう呼ばれました。

Q3:引退後はどのような指導者だったのですか?
A3:鳴戸親方として部屋を率い、稀勢の里、髙安、若の里など多くの関取を育て上げた「名伯爵」として知られています。

第59代横綱・隆の里俊英の生涯は、まさに逆境に立ち向かい続ける挑戦の連続でした。肉体的なハンデや重圧を自らの努力と周囲の協力によって乗り越え、土俵の頂点を極めたその軌跡は、時代が変わっても色褪せることはありません。また、鳴戸親方として遺した指導者の哲学や、稀勢の里をはじめとする弟子たちへの温かなまなざしは、日本相撲界の宝として今後も語り継がれていくでしょう。

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宮部 千春
トレンドリサーチャー 宮部 千春
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