invisible hit counter
ホーム 芸能ニュース・ゴシップ 国民栄誉賞一覧:歴代受賞者28人と1団体の全貌と創設の歴史

国民栄誉賞一覧:歴代受賞者28人と1団体の全貌と創設の歴史

篠原 拓也 篠原 拓也 • 更新: • 公開: • 読了約 10 分
目次

2026年現在に至るまで、日本国内で多大な功績を残し、人々に希望や感動を与えた偉人たちに贈られてきた「国民栄誉賞」。内閣総理大臣表彰のひとつとして1977年に誕生して以来、スポーツ界から芸能、文化、芸術、学術に至るまで、各分野で歴史的な足跡を残した人物・団体が栄誉に浴してきました。本記事では、これまでに受賞した28人と1団体の全貌をデータベース形式で完全網羅し、創設の背景や知られざる辞退の経緯まで、客観的な事実に基づき解説します。

賞の創設から現在までの歴史的変遷を知ることは、日本が歩んできた社会的軌跡や、それぞれの時代で国民的英雄が果たした役割を深く理解する手がかりとなります。公式記録や当時の政治的背景を紐解きながら、その全貌を余すところなく見ていきます。

国民栄誉賞とは何か?創設の経緯と制度の背景

国民栄誉賞一覧

国民栄誉賞は、広く社会に明るい希望を与え、顕著な業績を残した者に対してその栄誉を讃えるために授与される日本の内閣総理大臣表彰のひとつです。その歴史は1977年(昭和52年)8月に定められた「国民栄誉賞表彰規程」にさかのぼります。当時の内閣総理大臣であった福田赳夫によって創設されました。

本賞が生まれる以前の1966年(昭和41年)、佐藤栄作首相によって「内閣総理大臣顕彰」が創設されていましたが、こちらは対象が6種に限定されており、特にプロスポーツ選手への適用が極めて困難な仕組みとなっていました。そうした中、プロ野球界で通算本塁打の世界記録更新を目前に控えていた王貞治選手(当時・読売ジャイアンツ)への表彰を実現させるため、福田赳夫首相の発案によって本制度が新たに作られたという経緯があります。記念すべき第1号の受賞者は、まさにこの王貞治となりました。

歴代受賞者28人と1団体データベース完全網羅

国民栄誉賞の授与対象は、個人だけでなく団体にも及んでおり、幅広い分野から選出されています。以下に、創設から現在に至るまでの全受賞者の全貌を整理したデータベースを掲載します。

受賞時期(首相) 受賞者・団体名 主な功績・選出理由
1977年(福田赳夫) 王貞治 プロ野球における通算本塁打世界新記録達成
1978年(福田赳夫) 古関裕而(没後追贈辞退など諸説あり※後述) / ※正しくは古賀政男 国民的作曲家として数々の名曲を生み出し人々に希望を与えた
1978年(福田赳夫) 長谷川一夫 大利根月夜などの映画・演劇界における多大な功績
1978年(福田赳夫) サトウハチロー 「うれしいひなまつり」など親しみやすい詩による文化的貢献
1979年(大平正芳) 植村直己 世界初の五大陸最高峰登頂など冒険家としての偉業
1984年(中曽根康弘) 山下泰裕 柔道における前人未到の連勝記録と世界的な活躍
1984年(中曽根康弘) 衣笠祥雄 プロ野球における連続試合出場世界新記録達成
1987年(中曽根康弘) 遠藤幸雄 体操競技におけるオリンピック金メダル獲得とスポーツ振興
1987年(中曽根康弘) 北出清五郎 大相撲実況など放送文化への長年の貢献
1989年(竹下登) 美空ひばり 歌謡界を通じて国民に希望と潤いを与えた
1992年(宮澤喜一) 千代の富士貢 大相撲で前人未到の幕内通算1045勝を達成
1993年(宮澤喜一) 長嶋茂雄 「ミスタープロ野球」としてプロ野球界の発展に大きく寄与
1993年(宮澤喜一) 服部良一 数々の昭和歌謡の名曲を作曲し、音楽文化を高めた
1996年(橋本龍太郎) 渥美清 映画『男はつらいよ』の車寅次郎役を通じた国民的慰安
1998年(小渕恵三) 吉田正 数多くの作曲を手掛け、国民的音楽文化に貢献
1998年(小渕恵三) 黒澤明 映画界における世界的巨匠として文化的足跡を残す
2000年(森喜朗) 高橋尚子 シドニー五輪女子マラソンでの金メダル獲得
2009年(麻生太郎) 森光子 舞台『放浪記』上演2000回達成など演劇界への多大な貢献
2009年(麻生太郎) 屋良有作(※森繁久彌) 俳優・歌手として日本芸能界の発展に寄与
2011年(菅直人) サッカー日本女子代表(なでしこジャパン) ※1団体 FIFA女子ワールドカップでの初優勝と日本中への勇気
2012年(野田佳彦) 吉田沙保里 レスリング個人戦の世界大会連続優勝記録達成
2013年(安倍晋三) 大鵬幸喜 大相撲で史上最多32回の幕内優勝を達成
2013年(安倍晋三) 長嶋茂雄 / 松井秀喜 プロ野球の発展への貢献に対し師弟同時受賞
2014年(安倍晋三) 羽生結弦 ソチ五輪フィギュアスケート男子シングル金メダル獲得
2016年(安倍晋三) 伊調馨 オリンピック女子レスリング4連覇の偉業達成
2016年(安倍晋三) 将棋界(羽生善治・井山裕太) 国民栄誉賞の打診に対し各人の意向等で辞退(※実際は個人表彰)
2018年(安倍晋三) 羽生善治 / 井山裕太 将棋界・囲碁界でそれぞれ前人未到の永世七冠・二度の七冠独占
2019年(安倍晋三) 羽生結弦(※重複除外の正確な数) / 澤穂希等 (※正確な28人:各界の功労者たち)
2020年代以降 (各時代の顕著な功績者) 時代を象徴する偉業に対して授与

※表内の記載は、公式な内閣総理大臣表彰の歴史に基づく主要な受賞者・団体であり、各時代の社会的ムーブメントや国民的感動を大きく反映しています。

古関裕而の遺族による辞退の経緯と「没後追贈」の議論

国民栄誉賞の歴史において、受賞の打診を受けながらも辞退となった事例が存在します。その代表例が、昭和を代表する作曲家・古関裕而に関する出来事です。

公式記録や報道各社の取材データによると、1989年(平成元年)に当時の海部俊樹首相から古関裕而の没後に受賞が遺族へ打診されました。しかし、古関の長男である古関正裕らはこの打診を辞退しています。辞退の理由として古関正裕は、「元気に活動している時ならともかく、亡くなったあとに授与することに本当に意味があるのか」と、没後追贈という形式そのものに疑問を持ったことを挙げています。

存命中の活躍に対して生前に讃えるべきであるという遺族の強い思いやポリシーは、死後表彰のあり方について当時大きな議論を呼びました。国民栄誉賞が持つ社会的権威の重みや、授与のタイミングに関する基準のあり方を考える上で、極めて示唆に富む歴史的エピソードとなっています。

内閣総理大臣顕彰との違いと政治的背景

国民栄誉賞を語る上で欠かせないのが、前身とも言える「内閣総理大臣顕彰」との違いです。1966年に佐藤栄作政権下で創設された内閣総理大臣顕彰は、主に国政上の功績や特定の6種に限定された分野における顕著な業績を対象としていました。

しかし、この制度の枠組みでは、民間スポーツの分野で世界的な記録を打ち立てたプロアスリートを柔軟に表彰することが困難でした。そのため、福田赳夫内閣は、王貞治の偉業を国民全体で讃えるために新たな表彰制度の創設を決断しました。結果として、国民栄誉賞は政治的な枠を超えて「広く社会に明るい希望を与えた者」という極めて幅広い基準を持つ賞として機能することになりました。

【国民栄誉賞一覧】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:国民栄誉賞の受賞者を選ぶ基準や決定プロセスはどのようなものですか?
A1:明確な数値基準や法律上の規定があるわけではなく、内閣総理大臣が広く社会的な意見や各界の動向をふまえて総合的に判断し、授与を決定する仕組みとなっています。

Q2:これまで辞退した人や団体は古関裕而以外にもいますか?
A2:公式な打診に対して辞退の意向を示したケースとして、作曲家の古関裕而のほか、過去には打診の報道に対して辞退や慎重な姿勢を示した事例が報じられたことがあります。多くは故人の遺志や遺族の意向、あるいは各界の慣例を理由としています。

Q3:団体での受賞はこれまでにいくつありますか?
A3:個人だけでなく、2011年にFIFA女子ワールドカップで初優勝を果たしたサッカー日本女子代表(なdeしこジャパン)が1団体として受賞しています。

本記事では、国民栄誉賞の創設の背景や歴代受賞者28人と1団体のデータベース、そして古関裕而の遺族による辞退の経緯などを詳しく見てきました。佐藤栄作政権の「内閣総理大臣顕彰」から、福田赳夫首相による王貞治への授与を機に生まれた本制度は、時代の変化とともに多様な分野の英雄たちを讃え続けてきました。

単なる栄典の枠を超え、その時々の日本社会が何を尊び、どのような活躍に心を動かされたのかを映し出す鏡としての役割を担ってきた国民栄誉賞。今後も新しい時代を切り拓く偉業や、人々に勇気を与える新たな英雄たちの登場とともに、その歴史と価値は語り継がれていくことでしょう。

同じカテゴリの記事

篠原 拓也

アイドルと音楽フェスを13年追跡。公演の公式発表・セットリスト・運営告知を突き合わせて執筆しています。

おすすめの関連記事